義母の気持ち
今回私たちのいる都市部へ呼び寄せるにあたって、まず義母の気持ちを確認しました。
「お義母さんはもう独り暮らしはできないし、したくないって言ってたよね?
本当は地元の施設に入った方が居心地はいいだろうけど、過疎高齢化のこの町では待機者が一杯いて当分無理。
何かあったときにすぐ対応できることを考えると、私たちのいる土地に来てもらうことになるけど、いい?」
実は義父母は将来自分達が地元の老人ホームに入りやすいよう、地元の社会福祉協議会に毎年多額の寄付をしてきました。
義父の家は地元の名家だったし、お金も昔はたっぷりあったし、そのくらいのワガママは聞いてもらえる時代でした。
しかし時代は流れて高齢者施設の管理が変わり、介護保険制度ができたりしてワガママを聞いてもらえる土壌はなくなりました。
同時に義父に権威があった(横暴な人ではなかったので権力をふるったことはない)時代を覚えている人が亡くなっていき、
いろいろあって義父は「大金持ち」から「金持ち」程度になり、長男である夫は地元から出て都市部に就職。
何より主産業がなくなって過疎になり、高齢者が増えて、以前日常的に空室のあった高齢者施設はいつのまにか常に満室という状態。
それでも義父はまだ良かったのです。
義父が倒れた頃は、老人ホームの代替施設のようなことを個人病院が担っていました。
義父は病気で県立病院に入院し2週間程度で退院となりましたが、寝たきりなので義母では介護できないとお願いすると、近所の個人病院に入院することができました。
その頃は個人病院も入院患者を歓迎していたため、退院を急かされることもなく長期入院して亡くなりました。
義母はその記憶が新しいので、自分もおとうさん(義父)のように入院したいと主張しました。
義母はとにかく楽になりたかったのでしょう。何もしたくないと何度も言っていました。
とにかく生きていることがめんどくさい。入院すれば寝ているだけでいいから。
それに対して私たち夫婦は、今は個人病院も満杯でなかなか入院できないこと、
義母は健康体なので入院は不可能だし、もし入院できたとしても長期入院は難しいことを何度も話しました。
義母は「健康体」だということが理解できなかったようです。
胸が苦しいし、背中が重苦しいと毎日訴えていましたから、自分では病人という意識だったのです。
私がマッサージするとすごくこっていたので肩こりのようなものだったのでしょうが、ちょっとでも痛いとマッサージを嫌がるので、時間をかけてほぐすこともできませんでしたし。
義母は痛みにとても弱かったんですよね。
それに私自身もマッサージはよく褒められるとはいえ素人なので、あまり頑張らないほうがいいと思いました。
私はスポーツをしていたせいかやや痛みに鈍い。
筋肉痛や凝りによる痛みは当たり前で、マッサージによる痛みはむしろ快い痛みだから口に出して騒ぐことはない。
なので他人の苦しみにも鈍い困った人ですから。
という経緯があってやや説得に時間がかかりましたが、入院は不可であることに納得してもらい引っ越しとなりました。
義母は入院できないならどこでも良かったみたいです。
もともと非社交的で友人はいないし、兄弟姉妹は遠くにいるかもう亡くなっているので、地元に未練はないと。
ホントに大丈夫なのかなーと思いながらもほかに道はなく、引っ越しが実行されたのです。